人生の豊かさや幸福度の向上に必要なこととは?

より充実した人生を送るため、必要であろう健康、運動、勉強などについて、読書や経験を通して得たことを記します。

マラソン 4時間から2時間50分切りまでの軌跡

 初マラソンは2008年の湘南国際マラソンです。
 確か、ネットでサブ4、グロスで4時間オーバーだったと記憶しております。30kmで足が止まり、ゴールした時は、人生で一番の困難を乗り越えたような充実感が満ち溢れ、非常に感動していた事を今でも覚えております。

 これをきっかけにマラソンにはまりました。次は「3時間半切りを目指す!」という意気込みで、継続的に走るようになりました。この頃は職場のサッカー部に所属していたのですが、学生時代から「つらい!」と思っていたサッカーの練習が、マラソンレーニングとして始めた日々のランニングで10km程度走れるようになってくると、逆にサッカーの練習では強度が足りないと思うようになってきました。この頃、ジョグノートを付け始め、当時を見返すと、月100km~150km走っていたようです。

2009年

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 そんなこんなで迎えた翌2009年の湘南国際マラソンでは、日々の練習の成果から3時間31分という、目標のサブ3.5目前と迫ったのであります。そして、2か月後の2010年1月館山若潮ラソンにて、3時間27分台を達成し、サブ3.5達成。いよいよ次の大目標はサブ3となってきます。
 こうなってくるとマラソンが楽しくてしょうがない。サッカー部は辞め、ひたすらランニングする日々となってきます。大会にも2か月に1度程度の頻度でエントリーしており、この年の山中湖のハーフは1時間35分くらいで走っていました。年の後半になってくると月間200km超える月も出始め、月間走行距離にもこだわるようになってきました。月間300kmはさすがにきついなと思っておりましたが、その年の12月に意外とあっさり300kmを突破。「やってみればそんなにきついものでもないな」という感想を持ったのを覚えております。距離を踏めば自ずと結果も付いてくるもので、この月のハーフで1時間30分台を出しております。

2010年

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 翌2011年1月湘南国際マラソン、3度目のフルマラソン。なんと3時間5分台。練習で距離を伸ばした分結果が出ました。一気にPBを縮め、いよいよ次はサブ3!という段階まできました。がしかし、この年は停滞、11月の湘南国際マラソンでは、3時間32分と1月の記録を更新することはできませんでした。

2011年

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 明けて2012年3月。1月320km、2月180km、3月370kmで臨んだ佐倉朝日健康マラソンです。目標はもちろんサブ3。前半キロ4:10前後でハーフまでいきます。しかし、後半徐々にペースダウン。最後はなんとかゴールにたどり着き、3時間18分。サブ3はそんなにあまくなく・・・。まだまだ練習不足です。
 悔しくて心を入れ替え、4月以降は4月300km、5月400km、6月370km、7月440km、8月430km、9月520kmと、ひたすらに距離を積みました。練習すればした分だけ結果が付いてくる。この状態こそ、マラソンの一番の醍醐味。自ずと練習量が増えていきました。この9月に出場した千倉のハーフでは1時間22分台を出しており、かなり自信をつけたと記憶しております。
 迎えた10月の新潟シティマラソン。目標はすでに、サブ3どころか、2時間50分切れるかも?くらい期待しておりました。結果、2時間54分。どんなレース展開だったかあまり覚えておりませんが、ゴール後、サブ3を達成した喜びはほとんどなく、もっとタイムを縮められたなぁという悔しさがあったことを覚えております。
 翌月の湘南国際マラソンも2時間54分。これからどれだけ記録を伸ばせるか?とか、そのためにはどんな練習をしていけばいいか?とか、色々本を読んだり調べたり、一日中マラソンのことを考えていました。
 この頃が一番マラソン楽しかったかもなぁ~。

2012年

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 ここからあまりうまくいかなくなります。
翌2013年1月勝田全国マラソンで、2時間50分切りに挑戦。キロ4ペースで行くも20kmくらいで結構きつくなった上に、膝に痛みが出てきて、30km地点で初の棄権。ただ、この時回収バスとかで触れた勝田の方々の心が非常に温かった事を忘れられません。そのため、いつか勝田は再チャレンジしたいと思っております。また、これをきっかけけに、フォアフット走法に切り替えます。フォアフットを始めた時はふくらはぎがパンパンになり練習になりませんでしたが、3か月程でようやく修得することができました。
 3月に板橋cityマラソン、4月にかすみがうらマラソンに出場。もちろんキロ4ペースでいくも、後半失速で2時間55分と3時間2分。かすみがうらは、覚えている人も多いであろう、同日開催の長野マラソンでは雪が降っていたという、そう、あの極寒の日です。寒すぎてスタート直後からトイレに行きたくなっておりました。冷たい雨がけっこう強く降っていたので、話に聞いていた「ランション」に挑戦しようとしましたが、いくらがんばっても走りながらは出ませんでした。結局27km付近までモジモジしてて、ようやくトイレに駆け込むことになったのでした。
 これで大きく伸びたシーズンは終了します。

2013年

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 2014年、一発目は大町アルプスマラソン。朝3時くらいに起床して出発した結果、スタートまでの1時間半くらい前から2度寝してしまい、スタート10分前に飛び起きる失態。キロ4で入りますが、ありえないくらいのアップダウン。記録を狙う大会ではありませんでしたが、なんとか3時間を切ってゴール。これもまた自信をつけることとなりました。
 この頃は毎月500km前後走っておりましたが、非常に状態が良く、記録を出せる自信がみなぎっていたのですが、エントリーがうまくできず、12月に、とあるローカルな周回コースの大会に出場します。実はここで、2時間48分台で走ったのですが、周回コースで距離もあやしいため、自分の中ではこれで50分切りでいいの?というもやもや感がありました。さらにこの大会では30km付近で1位に躍り出てこのまま優勝かとおもいきや、ラスト500mで抜かされての2位。なんと、優勝の副賞はホノルルハーフマラソンの招待でした。今までで一番悔しかった経験です。ただ、優勝した選手は福岡国際マラソンにも出場しているような選手だったようで、明らかに実力の差があったようなので、あきらめがつきます。
 このシーズンは東京マラソンに当選していたのです。年が明けた1月は、過去最高の月間640km走りこみ、東京マラソンを迎えます。目標はよく覚えていないのですが、当時の記録をみると、スタート直後に行ったトイレのロスを取り戻そうということもあり、キロ3:55前後でいっております。35kmで足が止まり、結果2時間51分。PBではありましたが、とても落ち込んだことを覚えております。調子が良かっただけに、前半からもう少し抑えていれば50分は切れたと思われます。
 翌月板橋cityマラソンに出場するも後半の向かい風にやられ、3時間8分。で、シーズン終了。トイレ問題もあり、寒さに弱い自分は、本命大会を秋にすることに決めるのでした。

2014年

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 2015年。シーズン初めは新潟シティマラソン。これも折り返しての向かい風で心が折れ、3時間13分。11月湘南国際マラソン:2時間55分。つくばマラソン:2時間57分。なかなか記録が出せない焦燥感みたいなものも感じながら、トレーニングは継続して月400~500km前後は続けています。3月、初開催だった横浜マラソンに出場します。結果は2時間50分でPB更新。中盤ダレましたが、後半ちょうどいいペースのランナーにひたすら付いていきねばれました。

2015年

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 2016年。この年は5月から600kmオーバー。6月上旬のトレイルの大会で3位入賞して、山登りにも自信をつけます。
 6、7、8月も550km以上走り、10月にしまだ大井川マラソンに出場します。このところ距離は稼いでるものの強度不足は否めないことを感じているため、前ほどの自信はないものの、目標は2時間45分。キロ3:55前後を目安に走ります。折り返しての後半、キロ4くらいに落ち、いつもの失速の悪夢がよぎります。30kmあたりまでなんとかペースを維持していると、後ろから4人組の集団に拾われます。集団はすぐにばらけ、1人のランナーと並走することになります。いつも失速する自分は、この日は違います。2人でいると非常に心強いです。最後までこのランナーとともにペースを落とさずゴールをすることだけを考え、必死に足を動かします。残り500mでそのランナーにはぶっちぎらますが、PBの2時間47分を達成。45分に届かなかった悔しさはすぐに晴れ、公認コースの50分切りとPBのうれしさがこみあげます。並走したランナーとお互いねぎらいの言葉と握手を交わし、充実感がこみあげてきました。
 その後、11月つくばマラソン:2時間54分、12月湘南国際マラソン:2時間52分。つくばはつなぎレースで湘南国際はPB狙いも前半からキロ4がきつく最後まで持たず。この経験から、複数レースは疲労がたまりいい結果を出したことがないので、本命レースは1本に絞ることに決めるのでした。

2016年

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2017年

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2017年以降
 この後は、仕事が忙しくなったことに加え、PB出すためのトレーニングに取り組むモチベーションが起きなくなってしまったため、あまり走っておりません。ただ、走ることは大好きなので、週3日程度最小限の体力維持は行っております。

 どれだけのトレーニング量をこなせばどれだけの結果を出せるのか、1つの参考としていただければと思います。